2011年7月12日火曜日

中国物産コーナーのころ②


高まる中国旅行ブーム

日中友好協会学習訪中団 1972

富山県民の翼訪中団 1978

秦皇島市友好訪問団が来富 1981

同経済視察団来富    1983

富山市民の翼       1986

県、経済文化訪中団 1987

北京天安門前  1998

兵馬俑    1998


27年ぶりの中国
1972年5月19日から、6月11日まで、「日中友好協会学習訪中団」に参加しました。ニクソン大統領訪中(2月)の直後、田中首相訪中(9月)の直前のことです。
国交回復のまえなので、公務員の中国旅行は許可されていません。学校をやめたおかげで、やっと中国旅行の条件がかなったわけです。1946年に中国をはなれてから、27年ぶりの訪問でした。
中国語研修の資料採集のため、カメラのほかにテープレコーダを持ちこむことの許可もとりました。「文化大革命は収まったのか?」、「革命で、コトバづかいや文字表記がどれくらい変化したか?」、ぜひ自分の目と耳でたしかめたいと考えていました。

旅行ガイドさんの仕事ぶり
当時はまだ、北京や上海への直行便がありません。返還前の香港で飛行機を降り、深圳地区にはいって、はじめて「五星紅旗」が青空高くひらめいている姿を見ました。
「学習訪中団」は、3週間あまりかけて、広州・韶山(毛主席故郷)・武漢・上海・北京など各地をまわり、新生中国の歴史を「学習」しました。案内してくれたのは、中国の「國際旅行社」の社員たちですが、日本の旅行社のガイドさんとは、まるで違った感覚でした。みなさん日本語が上手で、日本人の生活習慣にも気を配ってくれるので、感心してしまいましたが、よく考えてみると、そこはお国柄のちがい。名目は民間の「旅行社」ガイドですが、じつは中国外務省出先機関の最先端であり、対日工作員の任務を持つと解釈する方がわかりやすいかと思います。

文革のなごり
「文革は終息し、あらたな建設の時代に向かっている」という報道もあり、あやふやなまま中國へ出かけました。訪問先では、農民や労働者たちがみんな「我々は文革をこんなふうに戦った」と報告していました。上海の農村部で、ひとりの老人が上海方言で語りはじめた時、訪中団随行のガイドが理解できず、いちど地元のガイドが北京語に通訳し、随行のガイドがあらためて日本語に通訳する場面もありました。
公式発表では「文革は終息した」はずでしたが、中国は「地大物博」。局地的にはまだ文革が収まっていないようでした。

古い友人、新しい友人
訪中団一行は北京の人民大会堂で、中日友好協会会長郭沫若さんと面会することができました。この席で郭沫若さんは、まず文革の中で、「私が以前に書いたものは、すべて焼き捨てるべきもので少しの価値も無い」と自己批判したことを語られました。そのあと新時代の日中関係について、「古い友人、新しい友人」という表現で、中国がわの基本方針を語られました。
この席でも、訪中団員の一人が旅行中に話していたコトバを取りあげ、そこから日中関係論につなぐなど、きめ細かな演出が見られました。その団員というのは、新潟県出身で建設業関係の方でした。そういえば、國際旅行社のガイドさんたちは、一日の日程が終わったあと、夜おそくまで会議を開いていたようです。

友好省県・都市の交流
日中国交正常化(1972.9.)につづいて日中平和友好条約締結(1978.8.)。これで、日本と中国の関係は確実に新時代にはいりました。富山県と遼寧省が友好省県、富山市と秦皇島市が友好都市の協定を締結などのことがあり、日中間の人の交流、旅行も増えてきました。わたしも通訳に動員されたり、日中友好協会の役員として旅行に参加したりしました。
1978.8.富山県民の翼訪中団。団長、森岡政治副知事.総秘書長、松村青年県議。イズミが通訳。
1985.5. 富山県民の翼。団長、中沖豊知事。総秘書長、岡部昇栄県議。イズミが事務局員として参加。
1987.7. 県、経済文化訪中団。団長、金尾力松(富山商工会議所副会頭)。副団長、本川藤由。秘書長、前川弘義。イズミが通訳として参加。
1981.5. 秦皇島市友好訪問団が来富、友好都市締結.改井秀雄市長、許斌市長。
1983.6. 秦皇島市経済視察団が来富。于正珊副市長一行6名。日本滞在最後の夜(6/13)、団員黄順通氏(通訳)がイズミの手帳に記した作品。「来東京、握手告別、梅雨中」、「成田来て別れを告ぐやつゆの中」。平生俳句とは縁のうすいイズミも一句、「つゆの間の成田の空へ君送る」。
1986.9. 友好都市締結5周年記念、富山市民の翼が秦皇島市を訪問、記念植樹、太陽電池時計塔の贈呈など。市長、議長一行149名。イズミが参与として参加。

家族旅行
1972年の「日中友好協会学習訪中団」から1987年の「県、経済文化訪中団」までの14年間、通訳その他の仕事で中国各地を訪問させていただきました。その都度、北京では故宮博物院・頤和園・八達嶺・明十三陵、西安では兵馬俑・大雁塔・華清池などの観光スポットが組みこまれています。
平生でも、中国語講座などでわたしは外出することがおおく、店の方はほとんど妻信子に任せきりです。中国の商品をあつかっているのですから、生産地中国を見学しておかなくてはというわけで、なんとか日程を調整して、信子といっしょに観光旅行にも出かけました。
張家口を訪問する企画もあったのですが、そのときは日程の都合がつかず、参加できませんでした。いま思っても残念ですが、欲を出せば切りがありません。

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