2011年9月13日火曜日

富山外専のころ③

「マグ[曲・覓・巫]・マジナヒ・MAGICの系譜」  1995 

「ミコ・巫・MYAGMAGICIANの系譜(再論)」1996

 「クル・クルマ・車輪・WHEELの系譜」    1997

 「日・漢・英の[KR]音比較資料」       1998 

「ピカ・PICKER・ピカリ・霹靂の系譜」    2000



音韻比較の方法論にメド
1993年からV . H. Mair教授の助言にしたがってA. H. D. フロクを利用しはじめ、1995年に「スミ・シム・SMITH」を発表したころから、日漢英3言語の音韻比較について、ある程度自信がもてるようになりました。民族言語の音韻比較には、まずそれぞれの言語について音声面で等質の比較材料が準備されなければなりません。ここで等質というのは、日漢英共通の基準に照らして等質と認定されるという意味。音声面で等質と認定された日漢英語彙材料について、あらためて意味・用法の面から比較し、3言語相互間の対応関係を判定することになります。こうした手続きを踏むことで、その判定には、それだけの客観性・合理性が期待できると思います。


音韻比較材料の選定
民族言語の音韻比較には、どんな言語材料を採集・選定するかという問題があります。
わたし自身は、おもにつぎの辞典などによって音声共通基準を設定し、語彙材料を選定しました。
①「時代別、国語大辞典、上代編」三省堂、1967.  音韻や単語家族にかんする解説あり。
②「学研・漢和大字典」藤堂明保著、学研、1990. すべての漢字に上古音~現代音を注記。また、単語家族関係の解説あり。
③“The American Heritage Dictionary Of  The English language. 3rd Edition. (略称A. H. D.)巻末フロクに「インド・ヨーロッパ語の語根と派生語一覧」(40余ページ)あり。

 単語家族ごとに比較
どの民族言語でもそうですが、コトバ(単語)はその1語だけ孤立して存在することはありません。かならず親・兄弟などの家族があり、単語家族が連合して民族語の語彙体系を形成しています。その点を考え、m-k, k-r, s-t, p-kなどの音タイプについて、単語家族ごとまとめて比較作業をすすめるようにしました。

1995.10. 「マグ[曲・覓・巫]・マジナヒ・MAGICの系譜」 中国語学会45回大会。麗澤大学。…「MAGUSMAGICIANと MYAG[巫]」(Mair論文)// MYAG[巫]とマグ[曲・覓]。

 1996.10. 「ミコ・巫・MYAGMAGICIANの系譜(再論)」 中国語学会46回大会。関西大学。…ミコとマガタマ// マグ[曲・覓]とmyag[巫・舞・武]//  マケミゾ[儲溝]mechanic.

1997.10. 「クル・クルマ・車輪・WHEELの系譜」 中国語学会47回大会。東海大学。…
Wheel, cycle, 車輪の系譜//  Wheel, cycle, クル・クルマの系譜// クル・クルム・カラム。

1998.10. 「日・漢・英の{K-R}音比較資料」 中国語学会48回大会。熊本学園大学。…
日漢英{k-r}音語の組織原則//  カル・キル・クル・エグル姿がcultivate, culture.

1999.10. 「日・漢・英の{S-T}音比較資料」 中国語学会49回大会。お茶の水女子大学。
 シヅ[垂]・スツ[捨]・サチ[幸・福]・サト[]・シタ[下・舌]・シダル・シヅク。
 siuat雪。suat刷。siuet率・帥。siued粹。sued碎。     set屑。siet膝。siet虱。
 set, sit, seat, soot, stand, state, stay, step, stick, stool, straight, strike, string, strong.

2000.10. 「ピカ・PICKER・ピカリ・霹靂の系譜」 中国語学会50回大会。名古屋大学。
  ヒク[引・弾]・ヘグ・ヒカリ・ビックリ・ヒケタ[辟田]・アシヒキ[足病](picked)。
 biek辟(ハグ[剥])・闢・襞。bieg避。pek壁。piek躄。p’eklek霹靂⇔ビックリ。
 pick, picket, pike ⇔ヒゲ。 pygmy⇔ヒキ[短・卑]Well-picker ⇔ヰヒカ[井氷鹿]
                                   

高校の中国語教育に参加
1995.4.1997.3. 富山県立小杉高校講師(中国語)。
この年から「総合学習」の導入とともに戦後はじめて高校外国語教育の中に中国語科が登場しました。学習指導要領には「英語科に準じて」というだけで、具体的なことは書かれていませんでした。現場では、テキストもカリキュラムも、みんな手さぐりの状態でした。

1998.4.2002.2.  富山県立雄峰高校講師(中国語)。
自分の年齢のこともあって、小杉高校を退職させていただいたのですが、こんどは富山市内にある雄峰高校からさそわれ、ことわりきれず、お受けしました。

富山外專退職
20012月、富山外国語専門学校を退職しました。在職16年。研究者として、また教師として、生涯の中でもっとも充実した時期でした。
おかげさまで、県立商業学校(旧制)・市立中学校・公立専門学校・県立高等学校と、いろんな学校に勤務させていただきました。中学校は義務教育。高校も、日本の実態は準義務教育。生徒の中には、自分の本心から、勉強したいわけではなく、「親からの圧力で、通学させられている」みたいな生徒も多数いました。
それにくらべて、富山外專の生徒さんたちはみんな自立した社会人ばかり。自分の本心で中国語学習を思いたち、時間とお金をやりくりして、1年間あるいは数年間受講されました。すばらしいことです。好きだから、おもしろいから学習する。これでこそ、学習したことが身につく道理です。これこそ、学問研究の原点だと思います。

最期になりましたが、これだけ長期間勤務させていただいた学校当局ならびに関係のみなさま、たいへんお世話になりました。こころから、お礼を申しあげます。

2011年8月30日火曜日

富山外専のころ②


V. H. Mair 教授からのてがみ①


V. H. Mair 教授からのてがみ②

Mair 論文 


張聡東論文


「スミ・シム・SMITH 




日漢英3言語の音韻比較にとりくむ
1991年に発表した「コトダマの世界」のサブタイトルを「象形言語説の検証」としました。しかし、この検証作業は主として日本語と中国語についておこなったもので、英語音との比較は、ほんのフロクていどのものでした。

「日漢2言語の音韻比較だけに適用できる仮説など、仮説の名に値しない。せめて日漢英など3言語以上の言語を比較せよ」という批判の声が多数よせられました。

わたしは自分の語学能力の限界がわかっているので、日英の音韻比較はどなたかに共同研究をお願いできたらと考えていました。しかし、そういうモノズキな方は、なかなか見つかりません。やむなく「隗ヨリ始メヨ!」 ハジをかくのは承知の上で、まともに「日漢英3言語の音韻比較作業」にとりくむことを決心しました。

批判と同時に「音韻比較には、双方の言語について、まず古代語の音形くらいは確認せよ」という助言もいただきました。



日漢英s-m音語の基本義をさぐる
1992年から{s-m音語}に取りくみ、3年連続で中国語学会で発表させていただきました。1992.10.「スム[住・澄]・シム[染・占・滲]考」中国語学会42回大会。姫路獨協大学。
1993.10.「再論;スミ[]・シム[]SMITH中国語学会43回大会。都立大学。…研究発表要旨はB5判44ページ、サブタイトルに「スミ文化の系譜」。研究発表の席で、おおくの質問・異論:①はたして「スミ文化」といえるだけの実体があったのか?②「古事記」の中にスミ「炭」の用字例がみあたらない。「スミ[]文化説がなりたたないのではないか?…etc.計6項目。


. .  Mair教授の助言
この学会(都立大学)の直前9月、大阪の民族学博物館でひらかれた国際シナ・チベット言語学会の会場で、たまたまアメリカの. .. Mair教授(ペンシルバニア大学、デユーク大学から交換教授として京都大学に在籍中)を紹介され、イズミから「研究発表要旨」をお渡ししました。10月にいただいた手紙で「インド・ヨーロッパ語の語源研究には、A. H. D.のフロク『インド・ヨーロッパ語の語根と派生語一覧』を利用するのが一番便利」と助言されました。あわせて、論文2編を贈られました。
1994.10.「スミ[]・シム[]SMITH中国語学会44回大会。名古屋大学。…前回発表の席で出された質問や反論に回答するとともに、Ⅴ. . Mair教授の助言や張聡東論文に学び、三たび{s-m}音語をとりあげ、インド・ヨーロッパ語と日漢語音との対応関係をさぐりました。


「スミ・シム・SMITH」を刊行 
  1995.4.「スミ・シム・SMITH(サブタイトル「スミノエ神はSMELTING MAGITIAN」、「古代日漢語音の中にインド・ヨーロッパ語根をさぐる」)を刊行。
 第1部 {s-m}音語論議の経過。   
 第2部 {s-m}音語の背景と系譜
 第3部 {s-m}音のコトバ   
 付表・付図・資料       A4判、148ページ。

印刷資金については、志田延義山梨大学名誉教授・石沢義文富山県日中友好協会会長・小川弘北陸経済研究所専務理事、お三方の連名で基金募集を呼びかけていただき、なんとか調達できました。600部を印刷、関係者に配布。
  巻頭にかかげた「スミ・シム・SMITHのうた」の1節を紹介します。
  フイゴで スミ火を おこし
  イシを ふかし
  メロメロに とかし
  スミを イシに スミこませ
  シミこませ
  スミきらせて
  マスミの鏡を つくりあげた
  スミの MAGICIANS
  スミノエの神と Mr. SMITH
  古代金属製錬技術者たちの ものがたり


Mair論文などを翻訳
 前記、Mair教授から送られた論文2編を翻訳し、発表しました。
  ①「古代漢語MYAG、古代ペルシャ語MYGUSと英語”magician”」 Victor H. Mair著。イズミ オキナガ・鴫原佑治 共訳。1995年1月印刷。(当時、鴫原氏は富山外專中国語専修コース在籍中)
  ②「古代漢語の中のインド・ヨーロッパ語彙…新石器時代における漢語および中華文明の発生にかんする新テーゼ」張聡東著。イズミ オキナガ編訳。1994年1月印刷。もと、Mair教授の主宰するシノ・プラトニック ペーパーズ第7号(1988.1)として発表されたもの。張氏は、「Minnan[閩南]起源の台湾方言を話す中国人で、経済学とシナ学の博士号をもつ」…「B.C.3千年紀、東西民族文化の接触による混血児として古代漢語がうまれ、中華文明がうまれた。だから漢語にはインド・ヨーロッパ語の語幹がたくさんふくまれている」と指摘する(<訳者まえがき>より)。

2011年8月9日火曜日

富山外専のころ①

富山外国語専門学校開校式


ハク[掃・剥]・フク[吹・福]考 

マク[巻・幕]・ムク[向・目]考 

「コトダマの世界」

富山外専の講師に
1985年4月、富山外国語専門学校の中国語非常勤講師として採用されました。
この学校は、もともと2年制の英語専門学校として設立されたのですが、あわせて一般市民のために英語・中国語などの専修コースが開設されました。中国語コースは1教室で、松井武男先生が担当される予定でした。たまたま中国語の受講希望者が定員の2倍以上の多数に達したことから、急きょ1教室増設となり、イズミにまでお声がかかりました。

教えることは、学ぶこと
外專の生徒さんたちは、みんなまじめで、学習意欲満々でした。年齢は、青年から老年までまちまちでしたが、とりわけ子育てに手がかからなくなった女性たちのグループが目立ちました。それは、まさしく「女性の時代」の到来を告げるものでした。気づいてみれば、「源氏物語」や「枕草紙」の時代から、語学・文学は女性たちにとって得意の分野でした。
教室では、いろんな質問が出ました。中には、独自の解釈や見解をもっておられて、講師の意見を求めるというようなこともありました。
質問には、できるかぎり丁寧に答えました。即答できない場合は、宿題にしていただき、よく調べたうえで次回に回答するようにしました。
教えることは、学ぶこと。自分の好きなことを勉強していて、手当てがいただける。外專での16年間は、わたしにとって最も充実した研究生活の毎日でした。

中国語学会での研究発表… 1970~1992
1968年に「象形言語説」を発表してから、わたしは断続的に中国語学会(19787年10月まで「中国語学研究会」、また1989年10月「日本中国語学会」と改称)の全国大会に出席しました(6/14「山室中学校のころ②」を参照)。1982年からは、ほとんど毎年全国大会に参加し、象形言語説の検証作業としての研究発表をつづけました。
1982.11.ニヒ[新]・ニフ[丹生・入]考。中国語学会32回大会
1983.11.カヒ[貝]・カフ[買・合・甲]考。中国語学会33回大会
1984.10.サク[析・削]・スク[鋤・宿]考。中国語学会34回大会
1985.11.カツ[勝・割]・クツ[沓・屈]考。中国語学会35回大会
1987.10.ハク[掃・剥]・フク[吹・福]考。中国語学会37回大会
1988.10.マク[巻・幕]・ムク[向・目]考。中国語学会38回大会
1990.10.反、ハネ、フネ考。中国語学会40回大会

「コトダマの世界」を刊行
1989年秋、富山市制100周年記念「東アジア文明の源流展-中国陝西省出土文物展覧」(9.24~11.12. 富山市体育文化センター)の終了を機に、富山市日中友好協会副会長の役職をはずしていただきました。浮いた時間で、20年来書きためてきた「象形言語説」関係の作品をまとめ、1991年9月、社会評論社から「コトダマの世界…象形言語説の検証」として刊行しました。
できあがった本の内容を見て、自分ながら未熟・不備な点もありますが、とにもかくにも「日漢英の音韻比較」という壮大なテーマに挑戦できたことはよろこびです。
このあと、V. H. Mair 教授から「民族言語の音韻比較」について貴重な助言をいただくことになりますが、その点でも この本の出版は わたしにとって記念すべき一里塚だと思っています。
もくじの一部だけご紹介します。
第1部 コトダマ発生のメカニズム
 第1章 音声による象形
   1.仮説「象形言語説」        2.モジのはじまりは象形
   3.ABCも象形から          4.発声器官による象形
   5.抽象画のような象形        6.コトダマ効果と信仰
 第2章 日漢語音による象形
   1.ナフ[隠・納]・ニフ[丹生・入]    2.カヒ[貝]・カフ[買・合・甲]
   3.サク[析・削]・スク[鋤・宿]     4.カツ[勝・割]・クツ[沓・掘]
   5.ハク[掃・剥]・フク[吹・福]     6.マク[巻・幕]・ムク[向・目]
   7.ハネ[撥・反・翼]・フネ[船]
 第3章 英語音による象形
   1. /s~k/ sack, ski, skin    2. /k~t/ cut, gate
  3. /k~l(r)/ kill, cross      4. /g~l(r)/ glass, grass (中略)
   8. /t~l(r)/ tele-, tree      9. /d~l(r) dull, draw
   10. /str~/ straight, string   11. /~t(d, n)/ lived, heard, kept, known
第2部 コトダマの世界
 第1章 鉄器伝来の影
   1.わが名はヰヒカ           2.ヒコ大王のほこり
   3.岩をサク矢             4.田をスク・ナの神
 第2章 太陽信仰の系譜」
   1.カスガとクサカ           2.とぶ鳥のアスカ
   3.とぶヤトリの歌           4.朝日のヒデル宮

2011年7月26日火曜日

中国物産コーナーのころ③

中国語ブームのかげで

北陸銀行本店

YKK生地工場

(ブログ 改・なおちゃじーらと見たあれこれ より引用
)

「中国語学習のあゆみ…富山1975」

わが名はヰヒカ 

ヒコ大王のほこり

中国語学習ひろまる
中国旅行がブームになり、中国商品が出まわるようになって、中国語への関心も高まってきました。自治体や高校、商工会議所、企業などで、中国語講座を開設する動きがあり、わたしも1週間の日程がぎっしり満杯という時期がありました。手元のメモにあるだけ記します。
1974年4月~6月、北陸銀行研修所内に臨時中国語教室。24名。
1975年4月、北銀向川原町支店(中島寛治支店長)で中国語講座。14名。
1988~1989年、 氷見市商工会議所主催、中央公民館で中国語講座。19名。
(年月不詳)、YKK(黒部市)で、社員研修として中国語教室。数名分の名簿をいただきましたが、当日の勤務の都合などで、ほとんどマンツーマンの状況でした。それから数年後、1992年5月に上海YKKジッパーが設立されました。

「中国語学習のあゆみ」を刊行
1970年に富山中国語同好会が県民会館で「初級中国語講座」を開設してから5年になるのを記念して、「中国語学習のあゆみ…富山1975」を刊行、富山県内の中国語学習状況について紹介しました。おもな項目は、つぎのとおりです。
■富山県中国語同好会のあゆみ(増山乗真)
■富山中国語同好会中級班記録(土田豊茂)
■学校教育・民間教育のなかの中国語…アンケートから
■問題提起① 論語に表われた孔子の反動性(松井武男)
■問題提起② 漢字からローマ字へ…中国モジ改革の現状と将来(イズミ オキナガ)

古代語発掘シリーズ
1977年から1981年にかけて、富山の建設会社(株)岡部組(当時)の広報誌「おかべ」に「古代語発掘シリーズ」などを寄稿させていただきました。編集担当の橋本善七郎さん(元高校教師)が声をかけてくれたおかげです。当時わたしは、仮説「象形言語説」を発表したあと、その検証作業としてヤマトコトバの単語家族関係を調べ、漢語・英語と比較するための資料づくりをしていました。単語を音韻面から分析し、語根と派生語との関係をたどり、整理する作業です。
(このブログの画像として引用した文中のカットは、編集員梅本公美子さんの作品)
■「わが名はヰヒカ」(1977.11.「おかべ」81号)…尾ある人、ヰヒカ。実は、ピッケルと毛皮のシリアテを身につけた山男スタイル。ヰ[井]ヒカ[光]=well picker=井戸堀職人=鉱山採掘技術者…イワオシワク[岩押分]ノ子と協業関係…「古事記」は、全編「鉄器文化伝来の歴史書」…ヤマトコトバのヰヒカ[井光]と英語音well pickerとの対応関係は、単なる偶然ではなかろう。
■「ヒコ大王のほこり」(1977.12.「おかべ」82号)…「ヤチホコ[八千矛]ノ神」は、「たくさんの武器をもつ大王」の意味だが、語源的にはヤチ=ヤ[矢]チ[道・鉤]、つまりヤジリ・ツリバリのたぐいか。サチ[幸]と、音義ともに近い…ヒコ大王の系譜。ヒコは、「日の御子」でもあるが、動詞ヒク[引・弾]の名詞形(ヒクもの)でもある。…シラヒゲの神は、gold pickerか。ヒゲは、ヒカ[光]の交替音で、顔に打ちこまれたクイ[杭]、picker, ピッケルの姿。
■「岩をサク矢」(1978.3. 「おかべ」85号)…コノハナサクヤ姫物語。花がサクとは、花びらがサケル・ヒラクこと…s-k音のコトバ。サク[裂・割・咲]、サカエ[栄]、サカエル[栄]、サキ[先・崎]…サカエルとsucceed. 木の枝がサケ、第二の枝を生ずる姿がsecond、つぎつぎ続く姿がサカエル、succeed. また、シキル・ヒキサク姿がsect, section, screen..…岩をサク技術の伝来 。天皇が酒によって道ばたの岩を打つと、その岩が走って逃げた(記、応神)。「堅石モ酔人ヲ避ク」タガネを使って岩をサク(石材を切り出す)技術が伝来したことの証言。
■「岩をサク矢(続)」(1978. 4. 「おかべ」86号)…イワ[石]立たすスクナ御神=少彦名の神。スクナ=スク[鋤]ナ[刃]…クエビコ=カカシ[案山子]=木製のスキから金鋤に変化した歴史の証人…スクナ神の誕生。スクナは、[小・少]の意味を表わすまえに、(田を)スク[鋤]ナ[刃]を意味した。漢語ショウ[小・少]も、「サク・スク・ソグ」姿を表わすs-k音グループの語。
■「カスガとクサカ」(1978. 5.「おかべ」87号)…「カナスキの岡」(記・雄略)の故事は、日本列島に金属製スキ[鋤]が伝来したことを記念する証言。それまでは木製(スギなど)。スク[鋤]道具がスキ[鋤]…ハルヒのカスガとは?ハル[春]=草木の芽や根が大地をハル[張]・ワル[割]季節。カスは、カブサル・クイコム姿…クサカはク[日]サカ[下]か、クサ[草]カ[所・香]か?ヒノモト[日本]のクサカ[日下]という発想。そのオオクサカ王は雄略天皇の父安康天皇に滅ぼされた。
■「とぶ鳥のアスカ…太陽信仰の系譜①」(1981. 6.「おかべ」124号)…飛鳥と明日香。飛ぶ鳥がなぜアスカか?…クラヤミがアス(アセル)時がアサ[[朝]。アサまでヤスム。その場所がアスカ。飛ぶ鳥がサグリ(ask)あてた安住の地、アスのアサまでヤスムところ…「朱鳥元年」の朱鳥(あかい鳥)はキジ[雉]のこと(矢+隹の字形)
■「とぶヤトリの歌…太陽信仰の系譜②」(1981. 7. 「おかべ」125号)…法の興りし寺=法興寺=トブヤトリ([飛ぶ矢の鳥)=アスカ[飛鳥]の寺…堂塔は鳥の姿。飛ぶ鳥がヤドル姿、また飛びタツ姿…矢鳥と宿り。ヤドリ[矢鳥]がヤドル[宿]ところ。
■「朝日のヒデル宮…太陽信仰の系譜③」(1981. 8. 「おかべ」126号)…西安の「雁の塔」(大雁塔・小雁塔)…五層・七層の屋根は、五羽・七羽の雁が羽を連ねて飛ぶ姿…太陽=火の鳥=不死鳥=飛ぶ矢鳥…テラ[寺]の屋根がテル[照]…樹下美人とトリのトリあわせ…テルものがテラ。アマテラス[天照]の権威を守る(独占する)ために、斎宮ではテラ[寺]を禁句とした。

これらの作品は、あらかた「コトダマの世界…象形言語説の検証」(1991年、社会評論社)にとりいれました

2011年7月12日火曜日

中国物産コーナーのころ②


高まる中国旅行ブーム

日中友好協会学習訪中団 1972

富山県民の翼訪中団 1978

秦皇島市友好訪問団が来富 1981

同経済視察団来富    1983

富山市民の翼       1986

県、経済文化訪中団 1987

北京天安門前  1998

兵馬俑    1998


27年ぶりの中国
1972年5月19日から、6月11日まで、「日中友好協会学習訪中団」に参加しました。ニクソン大統領訪中(2月)の直後、田中首相訪中(9月)の直前のことです。
国交回復のまえなので、公務員の中国旅行は許可されていません。学校をやめたおかげで、やっと中国旅行の条件がかなったわけです。1946年に中国をはなれてから、27年ぶりの訪問でした。
中国語研修の資料採集のため、カメラのほかにテープレコーダを持ちこむことの許可もとりました。「文化大革命は収まったのか?」、「革命で、コトバづかいや文字表記がどれくらい変化したか?」、ぜひ自分の目と耳でたしかめたいと考えていました。

旅行ガイドさんの仕事ぶり
当時はまだ、北京や上海への直行便がありません。返還前の香港で飛行機を降り、深圳地区にはいって、はじめて「五星紅旗」が青空高くひらめいている姿を見ました。
「学習訪中団」は、3週間あまりかけて、広州・韶山(毛主席故郷)・武漢・上海・北京など各地をまわり、新生中国の歴史を「学習」しました。案内してくれたのは、中国の「國際旅行社」の社員たちですが、日本の旅行社のガイドさんとは、まるで違った感覚でした。みなさん日本語が上手で、日本人の生活習慣にも気を配ってくれるので、感心してしまいましたが、よく考えてみると、そこはお国柄のちがい。名目は民間の「旅行社」ガイドですが、じつは中国外務省出先機関の最先端であり、対日工作員の任務を持つと解釈する方がわかりやすいかと思います。

文革のなごり
「文革は終息し、あらたな建設の時代に向かっている」という報道もあり、あやふやなまま中國へ出かけました。訪問先では、農民や労働者たちがみんな「我々は文革をこんなふうに戦った」と報告していました。上海の農村部で、ひとりの老人が上海方言で語りはじめた時、訪中団随行のガイドが理解できず、いちど地元のガイドが北京語に通訳し、随行のガイドがあらためて日本語に通訳する場面もありました。
公式発表では「文革は終息した」はずでしたが、中国は「地大物博」。局地的にはまだ文革が収まっていないようでした。

古い友人、新しい友人
訪中団一行は北京の人民大会堂で、中日友好協会会長郭沫若さんと面会することができました。この席で郭沫若さんは、まず文革の中で、「私が以前に書いたものは、すべて焼き捨てるべきもので少しの価値も無い」と自己批判したことを語られました。そのあと新時代の日中関係について、「古い友人、新しい友人」という表現で、中国がわの基本方針を語られました。
この席でも、訪中団員の一人が旅行中に話していたコトバを取りあげ、そこから日中関係論につなぐなど、きめ細かな演出が見られました。その団員というのは、新潟県出身で建設業関係の方でした。そういえば、國際旅行社のガイドさんたちは、一日の日程が終わったあと、夜おそくまで会議を開いていたようです。

友好省県・都市の交流
日中国交正常化(1972.9.)につづいて日中平和友好条約締結(1978.8.)。これで、日本と中国の関係は確実に新時代にはいりました。富山県と遼寧省が友好省県、富山市と秦皇島市が友好都市の協定を締結などのことがあり、日中間の人の交流、旅行も増えてきました。わたしも通訳に動員されたり、日中友好協会の役員として旅行に参加したりしました。
1978.8.富山県民の翼訪中団。団長、森岡政治副知事.総秘書長、松村青年県議。イズミが通訳。
1985.5. 富山県民の翼。団長、中沖豊知事。総秘書長、岡部昇栄県議。イズミが事務局員として参加。
1987.7. 県、経済文化訪中団。団長、金尾力松(富山商工会議所副会頭)。副団長、本川藤由。秘書長、前川弘義。イズミが通訳として参加。
1981.5. 秦皇島市友好訪問団が来富、友好都市締結.改井秀雄市長、許斌市長。
1983.6. 秦皇島市経済視察団が来富。于正珊副市長一行6名。日本滞在最後の夜(6/13)、団員黄順通氏(通訳)がイズミの手帳に記した作品。「来東京、握手告別、梅雨中」、「成田来て別れを告ぐやつゆの中」。平生俳句とは縁のうすいイズミも一句、「つゆの間の成田の空へ君送る」。
1986.9. 友好都市締結5周年記念、富山市民の翼が秦皇島市を訪問、記念植樹、太陽電池時計塔の贈呈など。市長、議長一行149名。イズミが参与として参加。

家族旅行
1972年の「日中友好協会学習訪中団」から1987年の「県、経済文化訪中団」までの14年間、通訳その他の仕事で中国各地を訪問させていただきました。その都度、北京では故宮博物院・頤和園・八達嶺・明十三陵、西安では兵馬俑・大雁塔・華清池などの観光スポットが組みこまれています。
平生でも、中国語講座などでわたしは外出することがおおく、店の方はほとんど妻信子に任せきりです。中国の商品をあつかっているのですから、生産地中国を見学しておかなくてはというわけで、なんとか日程を調整して、信子といっしょに観光旅行にも出かけました。
張家口を訪問する企画もあったのですが、そのときは日程の都合がつかず、参加できませんでした。いま思っても残念ですが、欲を出せば切りがありません。