「マグ[曲・覓・巫]・マジナヒ・MAGICの系譜」 1995
「ミコ・巫・MYAG・MAGICIANの系譜(再論)」1996
「クル・クルマ・車輪・WHEELの系譜」 1997
「日・漢・英の[K‐R]音比較資料」 1998
「ピカ・PICKER・ピカリ・霹靂の系譜」 2000
音韻比較の方法論にメド
1993年からV . H. Mair教授の助言にしたがってA. H. D. フロクを利用しはじめ、1995年に「スミ・シム・SMITH」を発表したころから、日漢英3言語の音韻比較について、ある程度自信がもてるようになりました。民族言語の音韻比較には、まずそれぞれの言語について音声面で等質の比較材料が準備されなければなりません。ここで等質というのは、日漢英共通の基準に照らして等質と認定されるという意味。音声面で等質と認定された日漢英語彙材料について、あらためて意味・用法の面から比較し、3言語相互間の対応関係を判定することになります。こうした手続きを踏むことで、その判定には、それだけの客観性・合理性が期待できると思います。
1993年からV . H. Mair教授の助言にしたがってA. H. D. フロクを利用しはじめ、1995年に「スミ・シム・SMITH」を発表したころから、日漢英3言語の音韻比較について、ある程度自信がもてるようになりました。民族言語の音韻比較には、まずそれぞれの言語について音声面で等質の比較材料が準備されなければなりません。ここで等質というのは、日漢英共通の基準に照らして等質と認定されるという意味。音声面で等質と認定された日漢英語彙材料について、あらためて意味・用法の面から比較し、3言語相互間の対応関係を判定することになります。こうした手続きを踏むことで、その判定には、それだけの客観性・合理性が期待できると思います。
音韻比較材料の選定
民族言語の音韻比較には、どんな言語材料を採集・選定するかという問題があります。わたし自身は、おもにつぎの辞典などによって音声共通基準を設定し、語彙材料を選定しました。
①「時代別、国語大辞典、上代編」三省堂、1967. 音韻や単語家族にかんする解説あり。
②「学研・漢和大字典」藤堂明保著、学研、1990. すべての漢字に上古音~現代音を注記。また、単語家族関係の解説あり。
③“The American Heritage Dictionary Of The English language. 3rd Edition.” (略称A. H. D.)巻末フロクに「インド・ヨーロッパ語の語根と派生語一覧」(40余ページ)あり。
1995.10. 「マグ[曲・覓・巫]・マジナヒ・MAGICの系譜」 中国語学会45回大会。麗澤大学。…「MAGUS、MAGICIANと MYAG[巫]」(Mair論文)// MYAG[巫]とマグ[曲・覓]。
1997.10. 「クル・クルマ・車輪・WHEELの系譜」 中国語学会47回大会。東海大学。…
Wheel, cycle, 車輪の系譜// Wheel, cycle, クル・クルマの系譜// クル・クルム・カラム。
1998.10. 「日・漢・英の{K-R}音比較資料」 中国語学会48回大会。熊本学園大学。…
日漢英{k-r}音語の組織原則// カル・キル・クル・エグル姿がcultivate, culture.
1999.10. 「日・漢・英の{S-T}音比較資料」 中国語学会49回大会。お茶の水女子大学。
日 シヅ[垂]・スツ[捨]・サチ[幸・福]・サト[里]・シタ[下・舌]・シダル・シヅク。
漢 siuat雪。suat刷。siuet率・帥。siued粹。sued碎。 set屑。siet膝。siet虱。
英 set, sit, seat, soot, stand, state, stay, step, stick, stool, straight, strike, string, strong.
2000.10. 「ピカ・PICKER・ピカリ・霹靂の系譜」 中国語学会50回大会。名古屋大学。
日 ヒク[引・弾]・ヘグ・ヒカリ・ビックリ・ヒケタ[辟田]・アシヒキ[足病](picked)。
漢 biek辟(ハグ[剥])・闢・襞。bieg避。pek壁。piek躄。p’eklek霹靂⇔ビックリ。
英 pick, picket, pike ⇔ヒゲ。 pygmy⇔ヒキ[短・卑]。Well-picker ⇔ヰヒカ[井氷鹿]。
高校の中国語教育に参加
1995.4.~1997.3. 富山県立小杉高校講師(中国語)。この年から「総合学習」の導入とともに戦後はじめて高校外国語教育の中に中国語科が登場しました。学習指導要領には「英語科に準じて」というだけで、具体的なことは書かれていませんでした。現場では、テキストもカリキュラムも、みんな手さぐりの状態でした。
1998.4.~2002.2. 富山県立雄峰高校講師(中国語)。
自分の年齢のこともあって、小杉高校を退職させていただいたのですが、こんどは富山市内にある雄峰高校からさそわれ、ことわりきれず、お受けしました。
富山外專退職
2001年2月、富山外国語専門学校を退職しました。在職16年。研究者として、また教師として、生涯の中でもっとも充実した時期でした。おかげさまで、県立商業学校(旧制)・市立中学校・公立専門学校・県立高等学校と、いろんな学校に勤務させていただきました。中学校は義務教育。高校も、日本の実態は準義務教育。生徒の中には、自分の本心から、勉強したいわけではなく、「親からの圧力で、通学させられている」みたいな生徒も多数いました。
それにくらべて、富山外專の生徒さんたちはみんな自立した社会人ばかり。自分の本心で中国語学習を思いたち、時間とお金をやりくりして、1年間あるいは数年間受講されました。すばらしいことです。好きだから、おもしろいから学習する。これでこそ、学習したことが身につく道理です。これこそ、学問研究の原点だと思います。
最期になりましたが、これだけ長期間勤務させていただいた学校当局ならびに関係のみなさま、たいへんお世話になりました。こころから、お礼を申しあげます。
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