中国語ブームのかげで
北陸銀行本店
YKK生地工場
(ブログ 改・なおちゃじーらと見たあれこれ より引用)
「中国語学習のあゆみ…富山1975」
わが名はヰヒカ
ヒコ大王のほこり
中国語学習ひろまる
中国旅行がブームになり、中国商品が出まわるようになって、中国語への関心も高まってきました。自治体や高校、商工会議所、企業などで、中国語講座を開設する動きがあり、わたしも1週間の日程がぎっしり満杯という時期がありました。手元のメモにあるだけ記します。
1974年4月~6月、北陸銀行研修所内に臨時中国語教室。24名。
1975年4月、北銀向川原町支店(中島寛治支店長)で中国語講座。14名。
1988~1989年、 氷見市商工会議所主催、中央公民館で中国語講座。19名。
(年月不詳)、YKK(黒部市)で、社員研修として中国語教室。数名分の名簿をいただきましたが、当日の勤務の都合などで、ほとんどマンツーマンの状況でした。それから数年後、1992年5月に上海YKKジッパーが設立されました。
「中国語学習のあゆみ」を刊行
1970年に富山中国語同好会が県民会館で「初級中国語講座」を開設してから5年になるのを記念して、「中国語学習のあゆみ…富山1975」を刊行、富山県内の中国語学習状況について紹介しました。おもな項目は、つぎのとおりです。
■富山県中国語同好会のあゆみ(増山乗真)
■富山中国語同好会中級班記録(土田豊茂)
■学校教育・民間教育のなかの中国語…アンケートから
■問題提起① 論語に表われた孔子の反動性(松井武男)
■問題提起② 漢字からローマ字へ…中国モジ改革の現状と将来(イズミ オキナガ)
古代語発掘シリーズ
1977年から1981年にかけて、富山の建設会社(株)岡部組(当時)の広報誌「おかべ」に「古代語発掘シリーズ」などを寄稿させていただきました。編集担当の橋本善七郎さん(元高校教師)が声をかけてくれたおかげです。当時わたしは、仮説「象形言語説」を発表したあと、その検証作業としてヤマトコトバの単語家族関係を調べ、漢語・英語と比較するための資料づくりをしていました。単語を音韻面から分析し、語根と派生語との関係をたどり、整理する作業です。
(このブログの画像として引用した文中のカットは、編集員梅本公美子さんの作品)
■「わが名はヰヒカ」(1977.11.「おかべ」81号)…尾ある人、ヰヒカ。実は、ピッケルと毛皮のシリアテを身につけた山男スタイル。ヰ[井]ヒカ[光]=well picker=井戸堀職人=鉱山採掘技術者…イワオシワク[岩押分]ノ子と協業関係…「古事記」は、全編「鉄器文化伝来の歴史書」…ヤマトコトバのヰヒカ[井光]と英語音well pickerとの対応関係は、単なる偶然ではなかろう。
■「ヒコ大王のほこり」(1977.12.「おかべ」82号)…「ヤチホコ[八千矛]ノ神」は、「たくさんの武器をもつ大王」の意味だが、語源的にはヤチ=ヤ[矢]チ[道・鉤]、つまりヤジリ・ツリバリのたぐいか。サチ[幸]と、音義ともに近い…ヒコ大王の系譜。ヒコは、「日の御子」でもあるが、動詞ヒク[引・弾]の名詞形(ヒクもの)でもある。…シラヒゲの神は、gold pickerか。ヒゲは、ヒカ[光]の交替音で、顔に打ちこまれたクイ[杭]、picker, ピッケルの姿。
■「岩をサク矢」(1978.3. 「おかべ」85号)…コノハナサクヤ姫物語。花がサクとは、花びらがサケル・ヒラクこと…s-k音のコトバ。サク[裂・割・咲]、サカエ[栄]、サカエル[栄]、サキ[先・崎]…サカエルとsucceed. 木の枝がサケ、第二の枝を生ずる姿がsecond、つぎつぎ続く姿がサカエル、succeed. また、シキル・ヒキサク姿がsect, section, screen..…岩をサク技術の伝来 。天皇が酒によって道ばたの岩を打つと、その岩が走って逃げた(記、応神)。「堅石モ酔人ヲ避ク」タガネを使って岩をサク(石材を切り出す)技術が伝来したことの証言。
■「岩をサク矢(続)」(1978. 4. 「おかべ」86号)…イワ[石]立たすスクナ御神=少彦名の神。スクナ=スク[鋤]ナ[刃]…クエビコ=カカシ[案山子]=木製のスキから金鋤に変化した歴史の証人…スクナ神の誕生。スクナは、[小・少]の意味を表わすまえに、(田を)スク[鋤]ナ[刃]を意味した。漢語ショウ[小・少]も、「サク・スク・ソグ」姿を表わすs-k音グループの語。
■「カスガとクサカ」(1978. 5.「おかべ」87号)…「カナスキの岡」(記・雄略)の故事は、日本列島に金属製スキ[鋤]が伝来したことを記念する証言。それまでは木製(スギなど)。スク[鋤]道具がスキ[鋤]…ハルヒのカスガとは?ハル[春]=草木の芽や根が大地をハル[張]・ワル[割]季節。カスは、カブサル・クイコム姿…クサカはク[日]サカ[下]か、クサ[草]カ[所・香]か?ヒノモト[日本]のクサカ[日下]という発想。そのオオクサカ王は雄略天皇の父安康天皇に滅ぼされた。
■「とぶ鳥のアスカ…太陽信仰の系譜①」(1981. 6.「おかべ」124号)…飛鳥と明日香。飛ぶ鳥がなぜアスカか?…クラヤミがアス(アセル)時がアサ[[朝]。アサまでヤスム。その場所がアスカ。飛ぶ鳥がサグリ(ask)あてた安住の地、アスのアサまでヤスムところ…「朱鳥元年」の朱鳥(あかい鳥)はキジ[雉]のこと(矢+隹の字形)
■「とぶヤトリの歌…太陽信仰の系譜②」(1981. 7. 「おかべ」125号)…法の興りし寺=法興寺=トブヤトリ([飛ぶ矢の鳥)=アスカ[飛鳥]の寺…堂塔は鳥の姿。飛ぶ鳥がヤドル姿、また飛びタツ姿…矢鳥と宿り。ヤドリ[矢鳥]がヤドル[宿]ところ。
■「朝日のヒデル宮…太陽信仰の系譜③」(1981. 8. 「おかべ」126号)…西安の「雁の塔」(大雁塔・小雁塔)…五層・七層の屋根は、五羽・七羽の雁が羽を連ねて飛ぶ姿…太陽=火の鳥=不死鳥=飛ぶ矢鳥…テラ[寺]の屋根がテル[照]…樹下美人とトリのトリあわせ…テルものがテラ。アマテラス[天照]の権威を守る(独占する)ために、斎宮ではテラ[寺]を禁句とした。
これらの作品は、あらかた「コトダマの世界…象形言語説の検証」(1991年、社会評論社)にとりいれました。